トップ > バックナンバー > コラム > 科学と産業をめぐっての思索:合成繊維ナイロンの出現
「石炭と空気と水から、鉄よりも強く、クモの糸よりも細い」繊維として1938年に発売され、衣服を変えた発明をご存じだろうか。魅力的な宣伝コピーとともに登場したのが米デュポン社のナイロンである。ナイロンはファッションの革命をもたらした。女性用ストッキングが普及したのはナイロンの恩恵だ。
ナイロン以前のストッキングは細くてしなやかな絹で作られていたが、高価で一般女性が気軽に買える価格ではなかった。しかも破れやすい。ところが安価で丈夫で薄くて足を魅力的に見せるナイロン製ストッキングが登場したことで、ストッキングという女性ファッションが定番化したのである。
科学の歴史が、産業を大きく変えたという点では、ナイロンの出現は特筆すべき出来事ではないだろうか。それまで、衣料用の繊維といえば、麻やバナナなどの繊維、カイコのまゆから作る絹、羊の毛から作るウール、綿花から作る木綿といった、天然の素材しかなかった。ナイロンは女性用のストッキングに革命をもたらした。ストッキングが丈夫になっただけでなく、それを着用する女性まで強くなったといわれたものである。だが、このナイロンの発明には、前史がある。
最初に気の毒な人の話から始めよう。チャールズ・グッドイヤー。19世紀前半のアメリカの発明家だ。その名前から、ゴムに関係のある人物だということは推察がつくだろう。天然ゴムは、ゴムの木の樹脂を集めて固めたもので、輪ゴムを思い浮かべていただければいい。弾力があり、強い摩擦力があり、さらに膜状にすると耐水性があることがわかっていたので、すでにさまざまな用途に利用されていたのだが、これでレインコートを作ろうとすると、耐久性に問題があった。
グッドイヤーはゴムを強化するために、人生の大半を捧げた。幸いなことに、熱を加えたゴムに硫黄を加えて硫化ゴムを作ることに成功した。彼の不幸は、自動車の普及より百年ほど早く生まれすぎたことだ。せっかく丈夫なゴムを作ったのだが、利用価値がなかった。グッドイヤーは硫化ゴムのレインコートを軍隊に売り込もうとして、借金を重ねることになったのだが、当時は天然皮革の価格が安かったので、防寒具を兼ねた革のコートを着れば、ゴムのレインコートの必要はなかった。
グッドイヤーは失意のうちにこの世を去ったが、数十年後、自動車が普及し、強化ゴムの需要が一挙に増大した。そしてタイヤメーカーが、強化ゴムを最初に製造したグッドイヤーの偉業を讃えて、グッドイヤーという商品名のタイヤを売り出した。いまでもグッドイヤーは、タイヤのブランドになっている。
さて、話は第二次世界大戦の直前に移る。日本軍は着々と占領地を拡大して、東南アジアの全域を支配するようになった。それは天然ゴムの産地を完全に制圧したことになる。米軍は急遽、合成ゴムの開発に資金を投じることになる。合成ゴムそのものはすでに20世紀のはじめに発明されていた。ベルギー生まれのアメリカの化学者、ジュリアス・ニューランドが、アセチレンの研究をしている時に、奇妙な臭いのする物質が偶然に生成されていることに気づいた。
炭素の鎖のまわりに水素がくっついた高分子は、メタン、エタン、プロパンなどと、鎖の長さによって名前が与えられている。またこの鎖の構造を少し変えると、エチレンとか、アセチレンといったものになる。それぞれ少しずつ性質が違うのだが、これを組み合わせることによって、アルコールやエーテルや酢酸など、さまざまな物質を生み出すことができる。さて、ニューランドが発見したのは、アセチレン同士がくっついて鎖のようになった物質で、それは天然ゴムに似た構造をもっていた。しかし当時は天然ゴムが安価に入手できたため、合成ゴムの需要はまったくなかった。
しかし、日本の東南アジア支配が拡大するにつれて、アメリカは危機感を覚えるようになる。そこでデュポン社に、合成ゴムの開発を依頼することになった。デュポン社はフランスから亡命したエルテール・デュポンが創業した火薬のメーカーで、南北戦争や西部開拓で業績を伸ばし、米軍とも密接なつながりをもっていた。デュポン社はニューランドの共同研究者の、ウォーレス・カロザースという化学者に合成ゴムの開発を命じた。実際に合成ゴムの事業は成功し、そのため第二次世界大戦に突入しても、米軍のジープはタイヤに困ることはなかった。
先にも述べたように、炭素の鎖は、その長さや構造によって、さまざまな物質に変形することができる。カロザースは合成ゴムの改良を試みる途上で、炭素の鎖を思い切り長く延ばすことに着目した。すると偶然にも、絹に似た繊維ができた。しかもこの繊維は、張力を加えると切れるのではなく、逆に強くなるという特質をもっていることがわかった。
カロザースの目的は合成ゴムの開発だったので、それ以上の研究はしなかったのだが、デュポン社はこの合成繊維で、丈夫で耐水性のあるウィンドブレーカーやレインコートを作り、米軍兵士の衣料を向上させた。兵隊の衣料を作るというグッドイヤーの夢が、ニューランドからカロザースを経て、ついに実現したのだ。
合成ゴムの研究から偶然に生まれたこの合成繊維こそが、ナイロンである。戦時中は軍用にしか使われなかったこの素材で、戦後、女性用のストッキングが作られることになる。これが爆発的なヒットになったことは、誰もが知っている。
この大ヒットがもたらした効果は、単に女性のストッキングが丈夫になったといったことにとどまらない。繊維が合成できるということは、もっと多様な素材が合成できるのではという期待を、多くの人々が抱くようになった。しかも原材料は、当時はほとんどタダ同然だった石油である。新素材が安価に生産できる。これは産業界にとっては、大きな新分野ができたことになる。
ナイロンの出現以前にも、天然素材を用いた合成繊維や、半合成繊維は生産されていた。レーヨン、アセテートなどがそれである。しかし、純粋に石油から合成したナイロンの出現で、繊維業界はまったく新たな領域に進出することになった。アクリロニトリルを主な構成成分としたアクリル繊維(商品名はカシミロン、ボンネル、エクスランなど)、エステルの重合体(ポリマー)を素材とするポリエステル繊維(テトロン)など、新たな素材が開発されて、人類はこれまでに体験したことのない、多様な衣料品に身を包むことになった。もっとも、こうした合成繊維に反発するような、シンプルな木綿信仰といったものも生じている。肌着は木綿に限ると思い込んでいる人も少なくない。
合成繊維や合成ゴムだけではない。石油からは、まるでアラジンの魔法のように、さまざまな素材が誕生することになった。発泡スチロールと呼ばれるスチレン樹脂や、ポリ袋として親しまれているポリエチレン樹脂、そのポリエチレンやポリ塩化ビニル、ポリスチレン、ポリプロピレンなどから作られるプラスチック製品、あるいはポリエチレン・テレフタレートから作られるPETボトルなど、石油から作られるさまざまな日用品なしでは、現代人は生きていけない。
いまの子どもたちは、バケツといえば、ポリバケツのことだと思っている。買い物をすると、ビニールやポリ袋に入れてもらうのを、あたりまえのことだと感じている。ボールペンとか、プラスチックの筆箱とか、そういうものが、身近にあふれる中で育った人々にとっては、石油製品がない時代のことなど、想像もつかないだろう。
昔のバケツはブリキでできていた。肉屋で肉を買うと竹の皮に包まれていた。筆箱は天然素材から作られたセルロイドでできていた。というように、昔を懐かしんでいても仕方がない。敗戦後の日本を、アメリカと競うほどの工業国に押し上げたのは、石油化学工業であったといってもいい。自動車産業や、家電製品にも、石油化学製品は欠かせない。そして、あらゆる石油化学製品のさきがけとなったのが、ナイロンであったのだから、このナイロンのストッキングの普及というのは、人類の歴史にとって、一つのエポックであったということができるだろう。