• SMBC
  • SMBCグループ
TOP  > 反怖謙一の「ABC通信」
反怖謙一の「ABC通信」

ABC通信は、日々の気付きや学びを基に、物事の根本や本質について忘備録的に書き綴ったものです。
ABCは、A(あたりまえのことを)、B(ぼんやりせずに)、C(ちゃんとやる)の略で、私自身の座右としているものです。

ABC通信

バックナンバーはこちらから
(IDとパスワードが必要です)

2020年9月14日更新

人間の器
     以前仕事上で何とも言い難い理不尽さに遭遇しました。生きていれば何かしらの理不尽さに出逢うもの、全ては人生の学び、受け入れサラリと洗い流してしまえばよいと頭では分かっていても、いざその場に直面すると受容などほど遠く、それは悟りの境地ほどの高みに思えて、暗然と落ち込んでしまいました。あれこれ散々もがいた末に辿り着いたのが近くの神社でした。愚痴を吐き散らすのは申し訳無いとは思いつつ、神殿に向かって思いのたけを吐き出し、藁にもすがる気持ちで引いたおみくじを開いた時、そこにそれまでの重苦しさを一気に吹き飛ばすような言葉が目に飛び込んで来ました。『すべては、あなたの器を大きくするためである。』、この言葉を目にした瞬間、衝撃と言うか、脊髄に響くような感動を覚え、涙が溢れて来て止まりませんでした。その時、直感的に頭に浮かんだのがコップでした。コップには、コップ一杯分の水しか入らずそれ以上はこぼれてしまいます。もし私の心の器がどんぶりだったら、どんぶり一杯分の水が許容量であり、バケツであれば、どんぶり一杯分の水などバケツの底にちょこっと溜る程度です。当時の私の心の器は、どうも御飯茶碗程度だったらしく、少しの不条理という水にも溢れ返ってしまったようです。この事をおみくじによって気付かせて戴いた訳ですが、その時の何とも言えない有り難さというか、気持ちを吹っ切る切っ掛けを戴いた感謝とともに、「いつも見ていて下さるのだなあ」との安心感で胸がいっぱいになったのを今でも鮮明に覚えています。私は思うのですが、どうも器と表現される人間の受容度という角度は、当然人により異なり、その角度の範囲内にいる人や物事は許せるものの、その範囲外にいる人や物事は許せないようです。そればかりか、その許せない人や物事を自分の許せる範囲内に連れて来ようとします。自分の価値観や考え方と合わない人や思い通りにならない物事を、自分の許容範囲内に連れて来ようとする訳です。ところが、なかなか連れて来る事が出来ない事で苛立ちやストレスを溜めたり、悩みや苦しみに苛まれたり腹を立てます。こちら側に入ってくれない事に怒る訳です。不条理に出会った私もこうだったような気がします。おみくじが教えてくれたのは、「自分が広がってしまえばよい」という事でした。自分の受容度の角度を広くし、守備範囲を広くしてしまうのです。自分の思いに叶わないといって、角度の狭さ、いわゆる心の狭さ、浅さ、小ささを振り回して相手を糾弾するより、その相手のところまで自分の受容度を広げてしまう。すると自分自身が楽になり、相手のお蔭でそこまで角度を広げることが出来た、全ては自分の器を大きくしてくれる有り難い存在だったのだと感謝さえ出来るようになります。当然、恨みつらみなど持たずに済みます。自分の器の小ささを棚に上げ、思い通りにならないと拳を振り回す事が、如何に自分の心を重苦しいものにしていたかに気付いてからは、心が楽になりました。


2020年9月14日更新

四不
     「四不(しふ)」という言葉が有ります。「不激(大事を為さんとする者は、やたら興奮しない事)、不躁(バタバタしない事)、不競(つまらない人間と競わない事)、不随(人の後からノコノコと付いて行かない事)」を内容とするものであり、私達人間の平素の在り様を示唆してくれる中々味わい深い言葉です。詳しく見て行きます。先ず不激ですが、私達は程度の差は有れ、誰もが自分の思いや考えを正しいものと思い込みがちであり、その実現に執着する余り我を通し、身勝手・我儘(わがまま)勝手に振る舞う傾向に有ります。その結果、その思いを阻むものに対して憤激、興奮し、鼻息荒くこれを責め立て、挙句に不平・不満・愚痴の権化となってしまいます。特に、直接顔を見ての場面では理性的かつ抑制的振る舞いが出来るものの、相手の姿が見えない電話のような場面となると、ちょっとした事でも激しく興奮し、行き過ぎた言葉を吐いてしまいがちです。 激する事、興奮する事は、傲慢な思い上がりを背景に偏見と独善に執着している証であり、強く自戒の上、謙虚で不激な自分を取り戻すべしというのが不激です。次に不躁ですが、私達は何か平素とは異なる予想外の事態に直面すると、驚き、慌て、焦りの余りバタバタと狼狽(うろた)え、見苦しい様子を露わにしがちです。誠に情け無い限りですが、人間はどうも慌て焦ってバタバタするほど、物事を正しく見据えて判断出来なくなる傾向に有り、それは自分の内にしっかりとした中心軸というか座標軸のような一本筋の通った背骨が無いほど、その傾向は顕著なようです。故に、不躁な自分作りの為には、人生観というか人生信条というか、自分の内面を一本貫く心棒のようなものを、自分なりに養い持つ必要が有るということです。三つ目の不競は、車を運転中にその横を他車に追い抜かれた事を切っ掛けにスピード競争するような愚かな真似はしないという事です。私達は、他人から見れば意味の無いくだらない事を巡って競い合いがちです。馬鹿にされた、見下された、侮られた、プライドを傷付けられたとの受け取り方というか感じ方が発端となり、自尊感情や自己肯定感の回復のための戦いに身を投じがちです。路傍の花にも着飾る心という言葉が有りますが、植物も動物も人間も、自然界に生きるあらゆる生き物は、全て自分を美しく表現したいとの意思を生まれながらの本性として持っており、格好良く自分を見せたい、自惚れたいというのは、実に切実なる本能的感情のようです。 故に人間は、体面、体裁、面子というものに不思議なくらい拘る訳であり、そういう自分が居る事をしっかり自覚の上、つまらない競い合いは避けるべしというのが不競です。不随は、寄らば大樹の陰とばかりに表立って行動するのを避けるのが賢い生き方と誤解している人は多いもの。でも潔さというかスカッとしたスマートさの無い人は大成せず、先頭に立つ勇気が肝要というのが不随です。「四不」を意識すると、穏やかで静かな自分を取り戻す事が出来ます。

 反怖 謙一(たんぷ・けんいち)

  三井住友銀行 人事部研修所 顧問
  (元・陸上自衛隊 陸将 第1師団長)



各種お問い合わせや資料請求についてはこちらから