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一口メモ

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日常の光景や歴史のエピソード、季節の話題等さまざまなトピックスを題材に、はがきサイズにまとめたものです。朝礼時の挨拶や経営のヒントとしてご利用いただけます。

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2018年(平成30年)12月号

箱根駅伝
  • すっかり正月の風物詩として定着した「箱根駅伝」。その歴史は、今年100回目を迎えた夏の甲子園大会に劣らず古い。第1回大会が開催されたのは大正9(1920)年。戦時中の中断を挟み、今度の大会で95回目を迎える。
  • 箱根駅伝の生みの親となったのは金栗四三だった。金栗は明治45(1912)年、ストックホルム・オリンピックのマラソン競技に出場し、惨敗を喫する。日本の長距離競技の強化を決意した金栗が目をつけたのが駅伝だった。多数の長距離選手を養成するのに好都合だったからである。
  • それにしても、なぜ「箱根」だったのだろう。金栗が密かに抱いていた構想はアメリカ大陸横断の競技会を実施するという壮大なものだったという。当初、箱根駅伝はその予選会という位置づけだったのである。ロッキー山脈を走破できるだけの体力をつけるために、わざわざ険峻な箱根越えのルートが選ばれたというわけである。
  • 「箱根の山は天下の嶮 函谷関もものならず」(『箱根八里』)。今度の大会の箱根越えでは、どんな走りが見られるだろう。

2018年(平成30年)12月号

帰省の功徳
  • 「漱石が来て虚子が来て大三十日(おおみそか)」(子規)。明治28年の作。この頃漱石は、中学の英語教師として松山に赴任していた。正月休みで東京に帰ってきたのである。そこに虚子が顔を出した。久しぶりに3人で文学談義に花を咲かせたのであろう。
  • 子規はこの前年、東京の根岸に子規庵を構え、故郷の松山から母と妹を呼び寄せて、俳句や短歌の革新運動に意欲を燃やしていた。子規が亡くなるのは明治35年のことだが、結核の症状はすでにはっきりとしたものになっていた。「自分はあと何回、こうして正月を迎えられるだろう」、そんな思いが子規の脳裏をかすめていなかったかどうか。
  • 故郷に住む年老いた親が、帰省してみると思いの外に元気で、驚くことがある。子や孫の顔を見られると思うと、妙に興奮して、元気になってしまうらしい。
  • 年末年始に漂うほのかな“わくわく感”、その理由のひとつは普段、会えない人の顔を見る機会ができることにある。海外旅行もいいが、こういうときにちゃんと顔を見せておかないと、あとで後悔することもあるかもしれない。

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