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SMBCマネジメント+(プラス)

北岡 伸一 氏

後藤新平と日清戦争戦後検疫

1895年、日清戦争に勝利した日本が苦慮していた問題があった。帰還兵の検疫問題だった。

一般に戦争においては、戦闘の犠牲になる人より、病気で亡くなる人の方がずっと多い。74年、近代日本が初めて海外に兵を送った台湾出兵においては戦死8名だったが、マラリアなどの感染症による病死は561名に上り、軍人・軍属5,990名のうち、罹患者はのべ16,000名を超え、罹患回数は一人平均2.7回だったという。日清戦争後に帰還する兵士は約24万人、戦勝の士気は高く、一刻も早く帰宅したいと願っていた。

当時、陸軍行政の最高責任者だった陸軍次官の児玉源太郎が発見したのが後藤新平だった。後藤は1857年、東北の小藩の士族の家に生まれ、戊辰戦争の敗者として辛酸をなめ、医学を学んで頭角を現したが、より多くの人を救いたいと衛生行政を志した。ドイツ留学を経て、内務省衛生局長にまでなった後藤は、ある政治的事件に巻き込まれ、起訴、収監され、無罪となったが、無聊(ぶりょう)をかこっていた。

後藤は巨大な計画をたて、瀬戸内海の三つの島に敷地合計6万6,000坪、建坪合計2万1,000坪、検疫能力合計1日10,000ないし1万2,000の巨大な施設を二ヶ月の突貫工事で完成させた。その制度、臨時陸軍検疫部ができたのが1895年3月、検疫を開始したのが6月、終えたのが8月だった。下関における講和会議および三国干渉とその受諾という政治的な困難な時期(3月~5月)に、検疫の準備を行い、成功させたのである。後藤もそれを世界に知らせようと、ドイツ語で報告書を作り、当時検疫で優れていたドイツ皇帝から異例の賛辞を受けたという。

現在のコロナ問題とは、いろいろな点で違いがあるのは確かである。しかし、どうして、このような迅速でスケールの大きい計画が樹立されず、実行されないのか。

一つは、戦後の平和主義である。戦争という異常な、しかしありうる事態に対する備えが、政治にも国民にもメディアにもできていないことである。第二に、国民一人ひとりの個別利益への考慮が優先されて、長期に全体を見通した大規模な発想が提示されない。第三に、後藤のような人材を発見し起用する仕組みがない。これらは一朝一夕に作れるものではない。しかし、一から始めるしかない。



※本原稿は「SMBCマネジメント+(プラス)」2020年5月号(5月1日発行)に掲載されたものです。


マネプラ・オピニオンについて

ビジネス情報誌「SMBCマネジメント+(プラス)」にて、下記の6名の識者の方々が、自身の視点でまとめた経営者へのメッセージを巻頭コラム「マネプラ・オピニオン」として連載しています。

【執筆者一覧】 2019年4月号~

  • 大隅 良典 氏(東京工業大学科学技術創成研究院 栄誉教授、公益財団法人大隅基礎科学創成財団 理事長)
  • 北岡 伸一 氏(東京大学 名誉教授、独立行政法人国際協力機構(JICA) 理事長)
  • 白川 方明 氏(青山学院大学国際政治経済学部 特別招聘教授)
  • 髙橋 政代 氏(株式会社ビジョンケア 代表取締役社長、理化学研究所 生命機能科学研究センター
            網膜再生医療研究開発プロジェクト 客員主管研究員)
  • 薮中 三十二 氏(立命館大学国際関係学部 客員教授)
  • 清家 篤 氏(慶應義塾 学事顧問)

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